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さいきっく事件簿 ACT.5-2

― 3 ―



今日も一日良く働いた…ような気がする。
ちょっとした騒動はあったものの、カジノも無事閉店時間を迎えた。

サイコロを演じきった疲れもあり、控え室へと戻る美樹の手のぬくもりが心地よい。
あとは美樹が俺を支配人へ返してくれれば今日の仕事も終わる。

今日も結構な額を稼いだんじゃないだろうか。
特にあの2人組の女。あいつらから相当巻き上げられたハズだ。
彼女達は最初からイカサマを疑ってかかった。
けれども、まさか生身の人間がサイコロに化けているなんて夢にも思わないだろう。
彼女達はイカサマを暴く為にまたやって来るかも知れない。
でも俺の変身能力は完璧だ。バレない自信はある。
その都度カモのしてやるから何度でも来いってんだ。



美樹は控え室のソファに腰掛け、いかにも疲れましたって感じで上を向き、手の甲を額に当てている。その間、俺は美樹の太股の合間に置かれてた。これも役得って奴かな。

「や、お疲れ、美樹。」

美樹の元にもう1人。青いバニーガールがやって来た。
えーと、名前は「サトミ」だったか。コスチュームと同じ色をしたショートカットの髪が良く似合う気が強い女だ。

「あ、里美。お疲れサマ。どうだった?」

「ん〜まあ、大勝利!って大いばり出来る程じゃないけど、そこそこの戦果だったよ。」

「そうなんだ。今日はこっちは大変だったんだよ〜。」

「美樹のところ、何か騒がしかったね。何かあったの?」

「お客さんにイカサマを疑われちゃってさぁ…」

「そりゃあんだけ毎日ボロ勝ちしてりゃ、疑われても仕方ないかもね。」

「えー、そんなぁ。私、何もしてないよぉ。」

「分かってる分かってる。でも美樹のお陰でこの店も相当利益が出てるんじゃない?」


里美の台詞に対して「それは俺のお陰だ」と口を挟みたくなったが、そうはいかないのがサイコロの辛いところ…。


「相当な強運の持ち主ね。今度美樹が客になって、どっかの店でギャンブルに挑戦してみなよ。アンタだったら絶対大儲けできるって!」

「アハハ…。このサイコロのお陰だよ。オーナーから預かったんだけど、幸運のサイコロなんだって。」


お、良く解ってるじゃないか美樹ちゃん。
それに対して里美は怪訝な表情を見せている。


「えー、何かうさんくさいよ、それ。」

「見てみる?」

「うん。」

美樹は俺をつまみ上げ、里美の手の平へと乗せた。

「ふぅん…」

いや、そんなに見つめられると恥ずかしいんですけどね。

「別に変わったところはないけど…」

今度は里美の指につままれ、上下左右と色んな角度から凝視される。
あっちを向かされ、こっちを向かされ、ゲームで振られている時とはまた違った感覚に酔いそうになる。

「見た目は普通のサイコロと変わらないじゃん。」

やっと里美の指の動きが止まった。
今の俺の「目」に当たる部分が里美に向かって斜め下を向いているので、彼女の胸の谷間がハッキリ見える。こうして見てみると、結構でかいな…。

やがて『ただのサイコロ』を観察する事に飽きた里美は、俺をソファの前に設置されているテーブルの上に置いた。



しばらくの間、女の子達が話に華を咲かせていると、控え室にまた1人、スタッフが戻って来た。
名前は……何だったかな。とにかく、オールバックが渋い男前。
確かバカラ担当だったハズだ。

「よ、お疲れ。」

「あ、青野さん、お疲れ様です。」

青野って言うのか、こいつ。どうでもいいんだけど。

「あれ、青野少し太った?」

「そういう里美こそ、またケツでかくなったんじゃね?」

「なっ…!?」

里美と青野がじゃれ合う姿を見ながら、美樹がくすくす笑っている。

「あ、そうそう。何かまたプレゼント来てたぞ。」

そう言うと青野は、手に持っていた小さな箱を2人に見せた。
この部屋の端に設置されている棚の上には、ぬいぐるみや人形と言った女の子が喜びそうな類のものが所狭しと並べられている。
全てこの店の女性スタッフや、支配人に惚れ込んだ男性客達から贈られたものだ。

プレゼントの中には、人形やぬいぐるみといった可愛らしいものもあれば、指輪やネックレス等のアクセサリー、そして宝石、中にはストレートに現金を贈って来た奴もいたっけ。その時は俺もオーナーから幾らかもらったけどね。臨時ボーナスだとか言って。


「またぁ?今日は誰から?」

「さあ?」

「さあ?って…判らないんですか?」

「ああ、店を閉めようとしたら、入り口に置かれてた。」

「んもう、恥ずかしがり屋さんねぇ。」

「でも外にこっそり置かれてたって…なんか怪しくないですか?」

「ま、少なくとも爆発物の類じゃないみたいだから。」

それを証明するように、青野が箱を派手に振った。



コンッ…。

『てっ…。』



「ん?」

「どしたの?」

「里美、今なんか言ったか?」

「ううん。」

「私も何も…」

「おかしいな、気のせいか…」

「ま、何が入ってるかなんて開けてみりゃ分かるじゃない。」

「だな。」


青野が箱を振った時、俺も何か女の声のようなものが聞こえた気がするんだが…。箱を振ったんで、その音がたまたま人の声のように聞こえただけなのかも知れない。


青野が包装紙を破り、箱を開ける。
3人で同時に箱の中を覗き込んでいるが、俺からは中身が確認できない。

「あら、なかなか可愛いじゃない。」

里美が箱の中身を取り出してくれたお陰で俺にも見えた。



人形だ。
露出の高いピンクのドレスを着ている。
ドレスとは言っても、ピーターパンに出てくるティンカーベルが着ているような、半ばワンピースみたいな妖精ドレスだ。
ドレスの他には右手首にブレスレットをはめているくらいで、他には何も身に付けていない。靴も履いておらず、裸足だ。
髪型は里美とほとんど同じ形をしているが、色は里美よりも薄い。青と言うよりは、水色か。

とにかく、今回の不審なプレゼントの正体は何て事はない、妖精の人形だったようだ。
前みたいに現ナマを期待してたんだけどなぁ…。






さいきっく事件簿 ACT.5-1

― 1 ―



桜井 正太郎。19歳。
彼もまた、特殊な能力の持ち主だが例の会社には属していない。
もちろん「あの会社」の者がしょっちゅうコンタクトを取って来るのだが、その都度断り、半ば強引とも言えるその勧誘をやり過ごしていた。

組織なんて言う窮屈な場に身を寄せるよりも好き勝手に、自由奔放に生きていたい。
それに、お金の面でもあの会社よりも美味しい仕事がある。







街の喧騒が遠く聞こえる入り組んだ路地裏。
時刻はまもなく午後7時を迎える。

キャップを目深に被った正太郎は迷うこと無く、暗い細道を進んでいた。

隙間も無いほどびっしりと建てられたビル郡の裏口が並んでいる。
その中の1つのドアをノックもせずに開き、中に入る。

「あら、早かったじゃない。」

部屋の中にいた女性が正太郎の方を向いた。
女性の髪の毛、瞳は共に金色。
脚の露出が高い、赤いチャイナドレスを着込んだ女性はその豊満さを強調するように胸の下で腕を組んでいる。
妖艶な雰囲気を持つかなりの美人だ。


「今日も協力してくれるのかしら?」

「そのつもりで来た。今日は幾らくれる?」

「あら、今までの額では不満なのかしら?」

正太郎は頷いた。

「誰のお陰で儲かってると思ってるんだい?」

「……。そう言われては、何も言い返せないわね。」

「4割。」

「…分かったわ。その代わりしっかり儲けてね。」

「もちろん。じゃあ行くよ。」


シュンッと瞬間的に正太郎の身体が縮むようにして消えた。
支えを失った彼の衣類がパサリと床に落ちた。

女は見慣れた非現実的な光景に驚く事も無く、床に残された正太郎の衣類を見つめていた。


すぐにズボンの裾が小さく動き、そこから転がり出てきたもの―


サイコロだった。

「ふふ、お見事。」

自力で足元まで転がって来たサイコロを摘み上げ、満足気な笑みを浮かべた。

「じゃあ、バレないように…」

「わかってるよ。」

女は「お願いね」と、物言うサイコロに軽く唇を当てた。










「ちょっと美樹ちゃん。」

「あ、オーナー。おはようございます。」

「おはよう。」

時刻は午後7時を過ぎているが、時間を問わず挨拶は「おはよう」とする業界は少なくない。

店員達は8時の開店に向けて、急がしそうに動き回っている。
店内では、男性スタッフがチップやトランプの配置等、各ゲームのセッティングを行い、比較的入って間もない者はモップ掛けをしている。
バースペースでは、カウンター内でグラスを丹念に拭いている者もいる。

その時の美樹は更衣室にいた。
腰まで届く濃い紫色のストレートヘアーに同色のぱっちりとした瞳。
バニーガールの衣装を着込み、あとは耳を付けるだけ…という時にオーナーに声を掛けられた。

「あ、サイコロですか?」

「ええ、今日もこれを使ってちょうだい。」

美樹に1つのサイコロが手渡される。

「前々から疑問に思ってたんですけど…」

「なぜ、このサイコロしか使わないか、ね?」

「はい。」

「そうねぇ、いわく付き…と言うか、ありがたい代物なのよ。」

「はあ…。」

「実際このサイコロを使ってから、美樹ちゃん負けた事ないでしょ?」

「あ…そう言えばそうですね。」

「でしょ?幸運のサイコロとでも言っとこうかしら。
 それじゃ、閉店後またいつものように私まで返しに来てね。」

そう言うとオーナーは更衣室を出て行った。

「幸運のサイコロかあ…」

美樹は耳を付け終わり、預かったサイコロを手に店内の自分の持ち場へと向かった。









― 2 ―


「なぁ和泉、なんか分かった?」

隣に座っている茜が声を潜めて聞いてきた。

「ううん、全然。」

このカジノに入店してもう1時間くらい経つだろうか。
1つのサイコロの出目を当てるだけの単純なゲームなのにさっぱり勝てない。
『偶数』に賭けると『奇数』が出るし、『6』に賭けると『6』が出る事はまず無い。

「奇数に30!で、1にも30!」

茜が張り切って声を上げている。

バニーガールがそっとサイコロを振る。
出た目は『6』だった。

「うがぁ〜!」

茜が頭を抱えて悶絶している。
これで50万は負けただろうか。

イカサマ調査の為、あらかじめ「会社」から予算としてお金を預かってはいるけど、既に半分スってしまった事になる。

「ちょっとそのサイコロを見せて下さい!」

私は台の上で静止したサイコロを、店員よりも先に手にとって観察してみた。
茜が横から覗いている。

うーん、見た目はどこもおかしいところは無いただのサイコロなんだけど。
ポケットから小型の金属探知機を取り出し、テーブルの下でバニーのコからは見えないように、こっそりとサイコロに当ててみたけど何も反応が無かった。
ここまで見事に負けると単に運の問題ではなく、何らかの細工が施されているのは間違いない。でも、タネが全くわからない。

「あのぉ…」

バニーガールがおどおどしながら声を掛けてきた。
サイコロを返して欲しいと言いたいのだろう。

「ああ、ごめんなさい。」

彼女にサイコロを返したその時、

「お客様、如何なされました?」

背後から声がした。
振り向くと赤いチャイナドレスに身を包んだ女性が仁王立ちしていた。
歳は…20代後半くらいだろうか。
ボンッキュッボンッとメリハリのある抜群のプロポーションが羨ましい。

「あ…オーナー。」

バニーガールが困惑した表情でチャイナドレスの女性を見た。
なるほど、この女性が支配人なわけだ。

「お客様、うちのサイコロを調べていらっしゃったようですが?」

う…まずいな、見られてた。
客を装って、イカサマを調査しに来た事がバレてしまう。

「このゲーム全然当たらへんやん!イカサマしてるんとちゃうか!?」

わ、茜のバカ!

茜の言葉を受け、支配人は胸の下で腕を組んで聞き捨てならないとでも言いた気に、片方の眉を吊り上げた。

「お客様、ゲームに勝てないからと言っていちゃもんを付けられては困ります。
 何を根拠にそう仰るのですか?」

証拠を掴まない限り、このままではこちらが不利だ。それどころかこちらが悪者にされてしまう。

「イカサむぐぅ!」

「ストップ!」

支配人に掴みかかるつもりだったのだろう。
私は、ズカズカと支配人に近づいて行く茜の口を後ろから押さえ込み、黙らせる。
これ以上彼女に好き放題やらせるとますます状況は悪化する。
店の奥から怖いおじさん達が出てくるかもしれない。

「すみません、私の友人が…。
 ちょっと酔っちゃってるみたいで…すぐ出て行きます、あはは…」

「ほっほんへ!ふごふごんふ〜!」

と何かを言いながら、ビシッと支配人を指をさしたままの茜をそのまま店の外まで引っ張り出した。

店を出る直前、支配人が笑みを浮かべたのを私は見逃さなかった。





「もう、茜のせいでめちゃくちゃじゃない!」

「だってぇ〜」

茜がふてくされたように口を尖らせている。

赤みを帯びた短いショートヘアに青いヘアバンド。…いや、バンダナ?
人の趣味に口を出すつもりはないけど、正直似合っているとは思えない。
地肌が黒い方だから、赤い髪は良く似合ってると思うんだけどね。
上半身には毛皮を使ったコートを羽織い、下半身はデニムのハーフパンツにロングブーツといういでたちだ。

地べたであぐらをかき、ぷぅと頬を膨らませている茜。
今回の任務で、彼女に同行してもらったのは間違いだったのかも知れない。
「上」の人選ミスかなぁ。
可愛らしい顔に似合わず、乱暴と言うか、気が短いと言うか…。

「もういいわ。私が直接調べて来るから。」

「せやたらウチが行くわ。ウチのせいでこんなんなってしもてんから。」

「いいわよ。アンタじゃ不安だもの。私が行くわ。
 衣装と箱と…準備お願い。あと会社にも経過を報告しといて。」

「え〜…」

「え〜じゃない。これも仕事なんだから、文句は言わない。
 それに茜じゃ正体バレちゃいそうで怖いもん。」

「…はぁ〜い。」

肩をがっくりと落とし、茜はしぶしぶ返事をした。
よしよし。それじゃあ準備に取り掛かりますか。





夢追い人 4

― 4 ―



ゴツゴツした手とは対照的な柔らかい感触。
その時少女の身体が石でなかったら、彼女は泣いていたかも知れない。


灰色に濁った彼女の眼は、ずっと老人の方を向いている。
いつもにも増して熱心に石を打ち続ける彼の姿を疑問に思う。
なぜ今日の彼はこんなにも頑張るのだろうか。

疲労も相当なものなのだろう。ランタンの光に照らされている顔が青白く見える。
いや、室内が薄暗い為にいつもと違うように見えるだけなのかも知れない。




作業は深夜まで続けられた。
その甲斐あって、少女が人間に戻る頃には彫刻はほとんど完成していた。

あとは足の指を彫り、身体の角ばりを落とすくらいか。
尋ねた少女に、老人は首を横に振った。

「もちろん、それもしなければならない。
 しかし、もう一つ。大切な仕上げがある。」


老人はその内容を語らなかったし、少女も聞こうとはしなかった。

完成を間近に控えた彫刻を見ている内に、彼女の心に不安が湧き上がる。

―この像が完成したら、私は用済みになる。そうしたら、彼と一緒に理由が無くなってしまう。それでも今までのように毎日この小屋に来ていたら迷惑だろうか―


彫刻の完成は喜ばしい事だし、彼女自身それを楽しみにしている。
それと同時に「妻」を造り上げた老人にとって、自分は邪魔な存在になるかも知れないのだ。

嬉しさと悲しみが混ざり合い、何とも言えない複雑な心境に陥った少女は、老人に気付かれないよう俯き、黙って涙を流した。









朝起きたとき、目に飛び込んで来る光景がいつもと違うと、その一日が特別な日に思える。

少女が目を覚ました時、隣に寝ているはずの老人の姿は無かった。
彼の事だ。自分を起こしてしまわないよう、こっそりとアトリエに向かったのだろう。

ベッドの上で一度起こした上半身を、老人が寝ていたスペースへと倒す。
布団に顔を埋め、匂いを堪能するように大きく息を吸い込んだ。

鼻を突く汗の匂いが昨晩の事を思い出させる。


少ししてから顔を上げ、窓の外を見ると陽がかなり高い位置まで昇っている事がわかった。相当な寝坊をしてしまったらしい。

自分もアトリエに向かおうと勢い良く起き上がる。
下腹部にはまだ違和感があるが大丈夫だ。

駆けたい気持ちを抑えながら、少女はゆっくりと歩いて丘へと向かっていた。






少女が期待する音はそこには無かった。
丘の上から聞こえるのは、風の音と小鳥の囀りだけだ。

老人は来ていないのだろうか。
それとも単に手を止めているだけか。

―いや。

彼女は不安を拭い去りたくて走り出す。腹部を襲う痛みを堪えて。






老人はそこにいた。
しかしそれは少女は求める姿ではない。

小屋の中で彼はうつ伏せに倒れていた。頭部周辺の床が赤く染まっている。
目を疑うような光景に硬直していた少女は、やがて正気を取り戻し、老人の身体を抱きかかえる。
老人はすぐに意識を取り戻し、立ち上がった。
血が付いた口元を袖で拭う。床に染み付いた血液は、彼の口から出たものなのだろう。



「すまなかったな。」

そう言って老人は、へたり込んでいる少女を安心させる為、無理矢理笑顔を作り、いつものレモングラスティーを入れる。
しばらくの間、2人のお茶をすする音だけが室内を飛び交っていた。

「職業病だよ。」

老人は自分から語り始めた。
少女は怯えたような表情で彼の横顔を見つめる。

「もう長くはない。」

石を砕くのが彫刻家の仕事。
空気中に飛散したその粉塵は徐々に老人の肺を侵していた。
何十年にも渡って塵を吸い続けた肺はもう限界なのだろう。
それが彫刻家の運命でもある。

少女は彼に何て声を掛けたら良いのかわからなかった。
彼には自分の死期が解っているのだろう。
一刻も早く「妻」を再現したいという想い。
せめて、彼の夢を現実にする為に出来る事をしよう。

「せめて妻の傍で逝きたかったんだがな。」

「もうすぐ完成ですよね。私も手伝いますから…」

「いや、彼女はもういないよ。」

言われてから初めて気が付いた。
室内にあの彫刻が無い。

「朝来た時にはもういなくなっていた。」

老人が命を削って作っていた作品。
完成間近にして忽然と姿を消した。

作品を買いに来た客のほとんどは作り掛けの「妻」に目を付けていた。
老人は何も言わなかったが、おそらく客の内の誰かが盗んだのだろう。


老人の夢。妻と一緒に眠りたいと言う希望。
人生最後の願いが届かなかった老人の目は、悲しみに満ちていた。

「今まで世話になったな」

時折咳き込みながらも、老人が笑みを浮かべた。

少女の中で堪えていたものが溢れ出して来た。
彼の胸に顔を埋め、大粒の涙を流す。
羞恥などと言う言葉はそこには存在しないと言っても過言では無いほど、大きな泣き声を上げた。

老人は目を細め、少女が泣き止むまで頭を撫でてやった。














「私を使って下さい。」

「どういう事だ。」

「私を奥さんにして下さい。」

同じ彫刻を1から作り直す時間などない。
だったら自分が盗まれた彫刻の代わりになれば良いのだ。

解っている。彼は少女の像では無く、あくまでも妻の像を作ろうとしているのだ。
少女は妻に似ているだけに過ぎない。
少女の像を完成させた後のもう一手間…それは少女を妻へと変える事。

少女は覚悟を決めていた。
私は妻の代わりになるんじゃない。
私は妻そのものになるんだ。

「自分が言ってる事の意味が解っているのか。石化中に傷つけると…」

「解ってます!」

ここまで強気な少女の姿を、老人は未だかつて見た事が無かった。
石化が解除されるには、石化した時と同じ姿でなければならない。
傷付いたり、壊れたりしてしまうと、二度と人間の身体には戻らない。

彼女の好意に甘え、自分の願いを叶えるべきか。
その為には目の前に立つ健気な娘の命を犠牲にしてしまっても良いのか。

老人の中で葛藤が生まれる。

「…だめだ。お前にはお前の人生が―」

言い終わらない内に、少女は勝手に石化薬の原液を全て飲み干した。

「なんて事を!」

「私は、あなたの奥さんになりたいんです!」

少女は服を脱いだ。
すぐに皮膚の色が変わり始める。

「さぁ…私を…彫って…」



少女は石になった。
いつもはほんの数時間だけなのだけれども、今回は違う。
薬を全て飲み干した彼女が再び人間に戻るのに何年、何十年かかるかは解らない。

でもそれは少女が少女の姿のままでいた場合の話だ。





―カーン。カーン。


心地よい風が吹く丘の上。
いつも聞こえるこの音は、今日で最後になる。

「すまない…すまない…!」
泣きながら、老人は少女を打ち付けていた。

彼を愛した者を、彼が愛した者へと変えるべく。






窓から入ってくる光が途絶えた時には、丘は静寂に包まれていた。
大きな樹の下、風景に溶け入るように立てられた木製の小屋。

その中では、夫婦が安らかな眠りについていた。






旧バレンタインネタ

「へえ、これはなかなか」

グレンは目の前に立つチョコレートを眺め、感嘆の声を上げた。
2月14日。若くして貿易会社の社長となり、世界でも5本の指に入るほどの大富豪となったグレンの屋敷には、いつも数え切れない程のチョコレートが届く。
無論、チョコレートだけではない。
アクセサリーや宝石。手編みのマフラーもあったか。

容姿端麗の大富豪の下には日々、下心を持つ女性達からプレゼントが贈られてくる。
年に2回。特に集中してプレゼントが届く時がある。
彼の誕生日とバレンタインデーだ。

金には事足りる彼は、いくら高級なプレゼントをもらっても喜ぶ事はない。
差出人を確認する事なく中身を一瞥し、後は従者に与える。

それがいつものバレンタイン。


しかし、今日は違った。

「気に入ったよ、これ」

グレンの前には、温かく微笑むビキニ姿の女性・・・を模した等身大チョコレートが立っている。
カラーコーティングはされておらず、リボンでポニーテールを決めている彼女は全身こげ茶色だ。

「ふうぅ〜ん」と息を吐きながら、チョコレートの全身を舐め回すように眺めた後、グレンは背後に立つ老人に声を掛けた。

「ニコライ。このチョコレートを僕の部屋に飾っておいてくれ。他のものは好きにしていいからさ。」

「かしこまりました。」

執事が数人の若者を呼び、チョコレートを運んで行くのを見送ってから、グレンは屋敷内に設けられた通信室へと入って行った。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「ヨォ、レオナが帰って来たぞ。」

その言葉を筆頭に、酒場内の飲んだくれ達がどっと歓声を上げた。

「今日は何人殺したんだ?ぁあ?」

「・・・・・・」

酒場の奥の部屋へと向かうレオナに絡んだ男は、自分が無視された事にムッとした表情で彼女の肩を掴んだ。

「おい、シカトはねえだろうがよ!」

そう言い終わるより早く、レオナは彼の方に向き直り、喉元にナイフを押し当てていた。
沸いていた酒場の歓声も一気に冷める。

「6人だ。何ならお前が7人目になるか?」

「ぐっ・・・悪かったよ」

ナイフをしまい、再び歩き出したレオナの後姿を、男はその場にへたり込んで眺めていた。

「相変わらず怖ええな。あれさえなきゃいい女なんだが。」

「ま、あいつはボスのお気に入りだからな。
 アサシンとしての腕も確かだし、そりゃいい気になりもするさ。」

「そういえばよ、レオナの奴、なんか魔法使えんのか?」

「何の魔法なのかは知らんが、結構な腕前らしいぜ?そういうお前はどんな魔法を使えるんだ?」

「手から炎を出せる。」

「ありきたりだな。」

「そういうお前はどうなんだよ。」

「自分の行動速度を最大3倍まで加速する事が出来る。泥棒さんにはもってこいの魔法だぜ?」

「でも馬よりは遅いよな?」

「・・・・・・」




彼らが酒を飲んでいる場所。
表向きは「酒場」となっているが、実は暗殺ギルドのロビーだ。
殺人の他、窃盗、スパイ活動も請け負っている。
『表の社会』で生きていく事が困難になった人間には安寧の場所ではあるが、規律も厳しい。




酒場の奥からレオナが戻ってきた。
先程彼女に殺されかけた男が性懲りもなく、再び声を掛ける。

「ヨォ、ボスから直々の呼び出しなんてな。また仕事か?」

「ああ。」

「景気いいねえ。何の仕事だい。」

「スパイだよ。」

それだけ答え、レオナは酒場を出て行った。


グレン=ラベムス。世界でも有数の貿易商人だ。
しかし、裏では軍事兵器の密輸を行っているらしい。

グレン邸に侵入し、密輸の証拠となる書面を持ち帰るのが、今回彼女に課せられた任務だった。

グレン邸の警備は厳重で、監視カメラはもちろん、屋敷の周りを銃を持った男達や攻撃魔法と得意とする者達が取り囲んでいる。
ここで、レオナの魔法の出番だ。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
グレン邸。

「あら、ご主人様ったらまた新しい彫刻を買われたのかしら?」

従者は廊下に飾られた見慣れない石像に首を傾げ、部屋に入って行った。

「・・・・・・」

閉じていた石像の目が開いた。

「そろそろ部屋に戻らないとまずいか。」

レオナである。
レオナが使用する魔法は世界でも他に例がない。
世界が知らない、レオナだけの特殊能力。

自身の身体の材質を変化させる事が出来る。
石だろうと、金だろうと、好きな身体を好きな物質に変える事の出来るレオナは、屋敷の中で人に出くわす度に彫刻に化けてやり過ごしていた。
石像への変身中も自由に動く事が出来るのだが、石の足だと音が響くため、移動の際には変身を解除していた。

いくつかの部屋を回ってみたが、密輸に関する有力な手がかりは掴めないままでいた。


グレンの部屋に入り、身体組織をチョコレートへと変化させる。
ポーズをとり、軽く微笑む。これで、侵入時と同じ等身大チョコレートのはずだ。

すぐにグレンが部屋に戻って来た。
ベッドに腰掛け、チョコレートを演じるレオナをじっと見つめていた。

「キレイだよ…」

ふいにグレンは立ち上がり、文字通りレオナと甘い口付けを交わした。

(・・・!?)

余韻に浸るように、彼は自身の唇をペロリと舐めた。

レオナにとってはこれがファーストキスになる。
普段は滅多に感情を表に出さない彼女だが、この時は少しばかり動揺してしまった。
チョコレートの姿になっているとは言え、身体は自由に動くので、表情を崩さずにいる事が出来たのはアサシンとしてのプロ意識からか。

そんなレオナの動揺に気付く事もなく、グレンの目は彼女を見据えたままだった。
そして、指先でレオナの髪の先端をパキッと折り、口の中に放り込む。

「今まで食べたチョコレートの中で一番美味しいよ、キミは。」

興奮し始めたのか、息が乱れてきたグレンはレオナに飛びつき、ベッドに押し倒す。
これに対し、レオナはポーズが崩れないよう、ぐっと身体をこわばらせた。

グレンが再びレオナに熱い口付けをし、彼女の頬を舐め上げる。


それでもレオナは動かずにいた。
普段の彼女がこんな事をされたら、すぐにでも相手を殺してしまうだろう。
今だって、それは可能だ。
ここでグレンを殺して逃げる事だって出来る。

しかし、そうなれば犯人がアサシンである事がバレるのも時間の問題だ。今後のギルドの活動に支障をきたしてしまう。
ギルドの勢力がグレン邸に忍び込んでいる事は、兵器密輸の証拠を得るまで極秘でなければならないのだ。

レオナは覚悟を決めた。
任務は失敗に終わるとしても、責務は果たそう。


グレンがベッドに横たわるレオナの爪先をしゃぶり、そのまま口を上に移動させてくる。
太股を舐められた少し後、レオナは妙な快感に襲われたが、それでもチョコレートのふりをし続けた。

(ボス…申し訳ございません)

溶け行く意識の中、レオナはこの快感を味わえた事にちょっとした幸せを感じた。






「ニコライ。」

「は。」

「例のチョコレートなんだが、さすがに全部は食べ切れなかった。残った部分はチョコレートケーキにでも加工してくれるかい。」

「かしこまりました。」


【〜完〜】

夢追い人 3

― 3 ―




―私って、変なのかな。

友人達を見ていると、やはり恋人には歳が同じか近い者を選んでいる事が分かる。
中には10近くも歳が離れているカップルはいるが、この少女のように60歳近くの差がある人間に好意を持つのは極めて異例だった。

その為か、友人達には何となく話し辛かったし、好きな人がいるのかと言う質問にもノーと答えていた。

彼女が相当年上の男性を好いている事よりも、あの小屋でひっそりと生活を営む老人の事を噂話にして欲しくなかったのだ。





―カーン。カーン。

今日も丘の上からあの音が聞こえる。
今は一体何を作っているのだろうか。

少女はフルーツを詰め込んだバスケットを腕に、小走りで小屋へと向かう。

「こんにちはー」

いつものように木製のドアを開け、挨拶と同時にぺこりとお辞儀する。
石を打つ音が止み、代わりに老人の足音が聞こえた。

「これを」

顔を上げた、少女の目の前に差し出されたもの。
黒曜石で作られた蝶だった。

「わあ」と瞳を輝かせながら、少女はそっと受け取る。

「昔、妻に贈ったのと同じものを作ってみた」

「いいんですか?」

「ああ」


少女は嬉しかった。大好きな人からプレゼントをもらったのはもちろんなのだが、それ以上に彼が自分に「妻」を求めてくれる事が。

少しずつではあるが、自分は彼が求める存在に近づいている。
例えそれが誰かの代役なのだとしても、もう迷いはない。

彼の心の拠り所となれるのは私しかいない。
そして私の心の拠り所となれるのも彼しかいない。









昼前に少女が老人の小屋を訪れる。
少女が裸婦像となり、老人が石を打つ。
会話こそ無いが、互いに幸せと生き甲斐を実感できる二人きりの時間。

夕暮れ時、彼女が人間の姿を取り戻す。
そして1日が終わり、2人は別れる。

それが少女と老人の日常。








しかしその日は違った。

石化が解けた少女は、「ふう」と静かに息を吐き出してその場に座り込んだ。
老人も少女と同じく「ふう」と息を吐いて額の汗を拭う。

窓から外を見ると案の定、空が赤みを帯びている。
今日も楽しい時間が終わってしまった。明日にまた同じ時がやって来ると解っていても、この後彼とまた別れるのかと思うとちょっと淋しい。

老人が肩から大きな布切れを掛けてくれた。
そして、部屋の奥から湯気を立てているマグカップを2つ持ってきた。


特に話す事も無く、静かにレモングラスティーを飲んでいた2人だったが、ふいに老人が口を開いた。

「頼みがある」

「はい?」

「今日は、もうひと頑張りしてくれないか?」

彼の唐突な発言の意味が解らず、きょとんとしていた少女だったが、理解すると満面の笑みで答えた。

「…はい!」








暗くなった室内に灯りが灯される。
部屋の隅にある机の上の蝋燭。
そして老人の手元にあるランタン。

僅かな量の光だが、狭い室内を照らすには充分だ。


少女は再び石になっていた。

ちろちろと揺れる蝋燭のほのかな光に浮かび上がる石の肌。
昼間の彼女には無い、艶かしさがそこにはあった。

老人は彫刻作業に取り掛かる前に、動けなくなった少女へと歩み寄った。









―カーン。カーン。

暗くなった丘の上に、ようやくあの音が響き始めた。
石を打ちつける老人の先に立っている少女の石像。
その唇は、うっすらと濡れていた。